学校長挨拶

自分を大切にするように相手を大切にする

本校は昭和28年の開設以来、当地から島根県のみならず全国の医療機関に多くの卒業生を輩出している伝統ある看護学校です。

隣接する浜田医療センターは高度急性期医療を担う島根県西部の中核病院で、多くの先輩たちが勤務しています。
そこでの病院実習では学校の教員と浜田医療センターの看護師が共同して学生一人一人を大切に教育していきます。

授業や実習だけではなく、普段の生活を通して、自分自身、同僚、先輩、後輩、先生、家族との真摯な対話の時を大切にしましょう。
そうすることで自分自身を育て、大切にできるようになり、接する相手のことを大切にできるようになることを望みます。

看護の仕事は、医療を通して社会で生きる人々を支援することができる、そしてそれを実感することができる、とてもやりがいのある仕事です。
看護の道を志す方、特に島根県西部の医療を支えたいと考えている方、一緒に学んでいきましょう。

学校長  栗栖泰郎

学科・過程

修業年限・募集学科など

修業年限 3年(看護師3年課程・全日制)
募集学科 看護専門課程・看護学科
主な取得資格 看護師国家試験の受験資格 保健師・助産師専門学校・短期大学専攻科受験資格養護教員養成課程(1年課程)の受験資格 看護大学編入の受験資格 専門士の称号付与

募集定員

入学定員 40名
特別推薦入試(指定校制) 定員の20%程度
一般推薦・社会人入試 定員の40%程度
一般入試 定員の40%程度 ※特別推薦入試・一般推薦・社会人入試は併せて定員の60%程度

沿革

昭和19年 11月 浜田陸軍病院看護婦養成所として開設
卒業生数 9名
昭和21年 4月 国立浜田病院附属看護婦養成所
(修業年限2年 入学定員 20名)として開設
卒業生数 19名
昭和28年 4月 1日 国立浜田病院附属高等看護学院
(修業年限3年 入学定員25名)として開設
昭和48年 8月 校舎新築移転
昭和49年 5月20日 学生寮新築移転
昭和50年 1月 1日 入学定員50名に変更
昭和50年 4月 2日 国立浜田病院附属看護学校へ名称変更
昭和51年 4月 1日 専修学校「看護専門課程」となる
平成 6年 3月 校舎全面改修、学生寮冷暖房設備等整備
平成 7年 3月 専修学校設置基準の一部改正により、平成6年9月1日より本課程修了者に専門士(医療専門課程)の称号授与
平成7年1月1日より実施
平成 8年 8月 保健師助産師看護師学校養成所指定規則の一部改正
平成9年4月1日より施行
平成13年 3月 講師室・教官室・事務室の改修増築工事
平成14年 3月 看護師(養成所)へ名称変更
平成14年 11月 創立50周年式典
平成16年 4月 1日 独立行政法人国立病院機構浜田医療センター附属看護学校へ名称変更
平成20年 1月 保健師助産師看護師学校養成所指定規則の一部改正
平成21年4月1日より施行
平成21年 11月 校舎新築移転
令和4年3月現在 卒業生数 2,251名

校歌

作詞 開藤 郁枝
作曲 吉見 政男
白雲 はくうん 浮ぶ  鏡山 かがみやま
ジェンナの を  あお ぎつゝ
つど いし人の  しあわ せに
我身 わがみ ささ ぐ  我身 わがみ ささ
まな われ らの  使命 しめい とう
石見 いわみ うら に  なみ たか
理想 りそう むね に  かか げつゝ
ひで わざ を いや ふか
いよゝ みが く いよゝ みが
まな われ らの  使命 しめい とう
平和 へいわ いろ の  真白 ましろ なる
きぬ まと いつ  きよ らかに
久遠 くおん あい の  ともしび
つね かか ぐ 常に かか
まな われ らの  使命 しめい とう

校章

校章

中央のランプはF・ナイチンゲールがクリミア戦争における戦場で兵士のためにかざしたランプをあらわし、看護の精神を象徴している。

ランプを囲む六角形は浜田城が別名亀山城と呼ばれていたことから亀の甲を表し、次の枠は全国の国立病院共通のマークを現している。

校章の形はなでしこを表現している。なでしこの花言葉には「愛」や「才能・器用」などがあり、さらに、なでしこを3本の線で形作っていることにより、人類への奉仕、知識、技術を意味し、看護師にとって大切な思いを込めている。

アクセス

〒697-0022 島根県浜田市浅井町 777-12

電車やバスで通学する場合

浜田駅から徒歩1分で学校に到着できます。
アクセスの便利がいいので、浜田市内だけではなく、江津市や益田市の自宅から通うことも可能です。

学生アパートから自転車通学する場合

自転車で通学する場合、屋根のある駐輪場をご利用いただきます。
浜田市内にある学生アパートからは自転車で10分くらいです。